米田陶香堂について
米田陶香堂は石川県能美市高坂町にある九谷焼 専門店 兼 窯元です。
1907年(明治40年)創業。日本海から自動車で約2分、彼方に霊峰 白山を望む石川県能美市高坂町に、米田陶香堂はあります。
縁起物の置物をメインに、インテリア、食器類の製造・小売・卸売を行っております。
OEM商品の受注製造も随時行っております。団体様/企業様はもちろん、少数ロットからも対応可能ですので個人のお客様もお気軽にお問い合わせください。
米田陶香堂の歴史
米田陶香堂は創業者 初代米田五三郎によって、明治8年(1875年)8月15日 石川県能美市高坂町に産まれました。
若かりし初代五三郎は小松市八幡で初代徳田八十吉氏と同門で陶芸を学び、「1番徳田、2番米田」と言われるくらい修行をし、明治37年(1904年)ごろ九谷焼の商いの道に進みました。そして3年後、明治40年(1907年)に米田陶香堂を創業します。
当時、窯元職人は手すさび(手遊び)に置物を、ひねり皿や花瓶の間に入れて焼いていました。皿や花瓶を窯に詰めるとどうしても隙間ができるので、職人は余技の置物をそこへはめ込混むように入れ、焼いていたのです。
五三郎はこれに着目して本格生産を勧めました。九谷焼における盛絵付け技法の価値を見出し、これを導入した焼き物を全国へ回って売り歩いたところ好評を博しました。明治時代、置物の商人は五三郎ただ一人で、日本中に置物を持ち歩いて販路開拓に努力し、器物(うつわもの)が主流であった九谷焼の中に置物を工芸品、商品として独自の地位を確立しました。
当時としては珍しく、置物を写真に撮影して見本代わりに全国へ注文をとりに歩きました。(現在のカタログ販売の先駆です。)全国を回る商用のかたわら、各地で根付けなどを収集して職人の参考に供し、置物の美的感覚の向上と多様化を図りました。根付けは昔から優れた美術品として評価され、しかも小さいので持ち運びに手軽だったからでした。また、京都から京人形の名匠を招いた講習会や、品評会を開くなどし、それらは職人の美的感覚と技術の向上に大いに寄与しました。五三郎はこれらを側面から支えて置物業界の振興に寄与してきました。窯元の職人へ口癖のように、「高くついてもよい、もっと良いものを作れ、もっと良いものを作れ」と強く要望したと言います。つまり良心的で価値ある置物を目指したのでした。
昭和15年(1940年)10月4日、66歳で急逝しますが、亡くなるまで毎日高坂町から八幡の窯元へ通い現役で働いていました。
まさに置物を育て、九谷焼に尽くした生涯だったのです。
初代の志は、二代以降へも受け継がれてきました。
国内に対しては、引き続き、装飾品・実用品として九谷焼の拡販に努めました。
海外に対しては、東洋趣味・美術工芸品として需要も増え、置物・ランプ等の輸出も盛んに行ってきました。
縁起の置物と、健やかな日々。
初代五三郎創始以来百有余年、初代が求めめざした『本質』への拘り、
その“志し”とその“思い”を『礎』とし、その時代時代を受け継ぎ、
今日の四代まで至っております。
初代五三郎の『志し』を訓とし、『九谷置物専門窯』として日々研鑚に励み、
少しでも興隆させて行きたいと願っております。