九谷焼について
1655年頃に誕生したと伝わる九谷焼。
当時から現在に至るまでの歴史をご紹介します。
◾️九谷焼の誕生(江戸時代前期1655年頃〜)
九谷焼は、石川県で明暦元年(1655)頃に誕生したと言われる磁器です。
鉱山開発の最中に、領内の九谷村で磁器の原料となる陶石が発見されたことがきっかけとなり、当時の大聖寺藩 初代藩主 前田利治の元で磁器の生産が始められました。陶石の産地となった九谷村に、磁器を焼くための窯を築いたことで、その地名にちなんで「九谷焼」と呼ばれるようになりました。この江戸時代前期に作られた九谷焼は、「古九谷」—古い九谷焼—と呼ばれ、その青手や色絵の美しい絵付けのスタイルとともに、磁器の職人や知識人たちの間で特別視される名作として、大切に受け伝えられてきました。
(古九谷の窯は少なくとも50~60年の活動後、1705〜1715年頃に生産を終了します。閉窯の理由は、いくつか想定されていますが、未だよくわかっていません。九谷焼のミステリーです。)
◾️終焉からの再興(江戸時代後期1804年頃〜)
古九谷終焉からおよそ100年後の1804年頃、県内の金沢や小松にて、九谷の復活に向けて大々的に九谷焼の窯々が再興しました。この時代に生まれた九谷焼を「再興九谷」と呼んでいます。様々な窯の盛衰の流れの中で、数多くの良質な九谷焼が作られました。
◾️海外へ(明治以降1868年頃〜)
江戸時代後期頃に九谷庄三が生み出したスタイル「彩色金襴」が海外の博覧会で人気を博しました。海外へと輸入されるようになり、「ジャパンクタニ」と評されました。以降、工業としての九谷焼が成長していくことになります。
◾️現代、そしてこれから
古九谷から始まる流れの中で生まれた伝統を紡ぎながら、現代へと受け継がれてきた九谷焼。人間国宝・有名作家による作品的な九谷焼や、量産する工業的な九谷焼等、新たなライフスタイルにあわせた多種多様なデザインの器が生み出されています。